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五里霧中

ごりむちゅう

 五里霧中とは、五里四方が霧に被われているという意味だが、ものごとの事情や様子がわからず、判断がつかなくなっている例えとして、「計画が頓挫して五里霧中のありさまです」(つまり、どうしていいかわからなくなっている、ということだが、霧に被われているのはこの人のオツムの中である)などと使う。

『後漢書』張楷(ちょうかい)伝によると、張楷は仙人の術を使い、五里四方を霧で被うことができたのだという(すげー。伊賀の忍者か?)。原文には「能作五里霧(よく五里霧を作る)」つまり「簡単に五里霧を作っちゃう」とある。裴優(はいゆう)という人物も三里四方に霧を起こすことができたが、自分の能力を高めたいとして張楷に教えを請うた(三里四方で十分だと思いますけどね)が、裴優はこれを断った(正解、正解。あいそよくすり寄ってくる人をあまり信じちゃいけません)。その後、裴優は術を使って悪事を画策したが捕らえられたという(ほーら、こんなヤツに教えなくてよかったでしょ)。この逸話からは、企業や個人のノウハウは気前よく他人に教えないほうがいい、または、中途半端なモノマネは破滅をまねくというようなご教訓が得られそうだが、そんなことわざが残っているようにはみえない(たぶん、短い言葉でかっこよく説明できないんだろう)。というわけで、裴優の部分はカットされ(だったら、最初から持ち出すなという話だが)、張楷の「五里霧」という言葉が残ったようだ。しかしこの「五里霧」や「五里霧中」も、その後中国の文典で使用された形跡があまりなく(伊賀忍者みたいな妖術だから、ムリもないか)、中世後期から近世にかけて日本で、実際の仙術の霧としての使い方をされ(昔から日本人は忍術が好きだったみたいだ)、明治以降、どうしていいかわけわかんなくなっちゃったという例えとして夏目漱石や尾崎紅葉の文章中に見られるようになる。中国でも同様の意味で使われるようになったのは近代に入ってからのようで、そのあたりには日本の影響があったのかもしれない。

 ところでこの「五里霧中」の「霧中」は、「無我夢中」の「夢中」と混同されやすい。「夢中」は読んで字のごとく「夢の中」という意味。「霧の中」も「夢の中」も似たようなものなので、「一所懸命」が「一生懸命」に変化したように「五里霧中」が「五里夢中」に置き換えられても不思議ではないが、「五里」と「夢中」のつながりがいまいち弱いので、その恐れはなさそうだ。

 蛇足になるが、「里」という距離尺度は、日本では平安時代頃から一里約4キロメートルとされており、「五里」は20キロで、張楷の仙術はとんでもないギネス記録になりそうだが(裴優の三里だってたいしたものだ)、中国では古代から現代までおよそ400~500メートルの範囲(現代は約500メートルらしい)で、五里は長くて2.5キロとなり、20キロと比べるとかなりチャラくなる(霧を起こせること自体すごいんだってば)。日本ではちょっとした勘違いから一里が4キロメートルになってしまったそうで、この話をすると長くなるので省くが、五里霧中の五里はたいしたことないほうの距離だということは押さえておく必要がある(たいした距離なんだよ。何度言わせるんだ)。

​(VP KAGAMI)

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