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臆病

おくびょう

 臆病(おくびょう)とは、ちょっとしたことでこわがったり、先行きを心配して消極的になること、また、そういう人。例えば、売り上げが爆増しているのに将来を不安視して給料は上げず、ボーナス増額でごまかしている経営者の性格がそれ。ということは、税収が過去最高なのに将来不景気になることをおそれて減税を渋り補助金でごまかそうとしている政府に同じ。

「臆病」は日本で作られた熟語らしい。そもそも「臆」という漢字は、胸、心の内、推量する、などの意味で、「臆する」と日本で使われている、気後れする、恐れる、消極的になるというような意味はない。つまり、本来の意味から解釈すれば「臆病」は「考える病」であって、キェルケゴールみたいな話になってくる(まあ、この哲学者の話とはちょっと違うけれども)。日本では、例えば「遠慮」という言葉も、本来遠い先のことまで考えるという意味にすぎないのだが、行動をひかえるという消極的な使い方をされるように、「よく考える」は「考えすぎる」に通じ、悲観的、消極的な考えを助長させるという連想につながる傾向にあるようだ。

 また「臆」という言葉は「臆測」「臆断」のように、自分の考え(だけ)で推測したり、決断するという意味にも使われる。つまり、自分勝手な間違った考えという意味合いでも使われているわけだ。中国語ではこれらの熟語は、「自分の考えによる推測」「自分の考えによる決断」という、しごくあたりまえの意味しかない。もしかしたら中国でも「自分勝手な」「独断の」といったニュアンスがあるのかもしれないが、そのあたりの状況はよく知らないし、あまり深く調べる気もないのでこのへんでとどめておく。

 いずれにしても日本では、「熟慮」とか「私見」といった行為が、あまり好意的に受け取られていないことは確かで、「石橋を叩いて渡る」といった例えも皮肉交じりに語られるのもやむをえない。

​(VP KAGAMI)

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