関連用語
堪能
たんのう
堪能には、(1)十分満足すること、(2)学芸に習熟している、という大きく2つの意味がある。(1)は「会席料理を堪能した」のように用いる。漢語のいかめしい響きを持つせいか(実はもとはそうではない、軽い言葉であることは後ほど解説)、「460円の餃子定食を堪能した」ではいまいちかっこうがつかない(価値、量ともに不足である)。(2)は「英語に堪能な人」のように用いる。もとは「かんのう」と読み、それが正しい読み方だが、(1)に引きずられていまは「たんのう」と読む。学芸に習熟しているという意味ではあるが、プロフェッショナルに対して「あの人は音楽に堪能だ」などとはあまり言わないように、本職とは別の技術や知識に優れている場合、つまり外国人とちょっと話ができる程度のチャラい「堪能さ」に使われている。
「十分に満足すること」の意味での「堪能」は、「足りぬ(満ち足りました)」という語の音便化「足んぬ」の語尾が「足んの」のように変化してできた言葉で、「堪能」という漢字は当て字。「堪」という漢字は「かん」と読むが、「湛(たん)」という漢字に似ているため「たん」と読み慣わされ、江戸時代に「たんの」の当て字として、「胆納」「湛納」などとともに採用されたようだ。「堪能」という字は、近松門左衛門あたりが使っていたせいか、ほかの当て字をけちらして現在に残っている。
本来の意味の「堪能(かんのう)」は、「よ(能)くでき(堪)る」という意味で中国で「文武堪能(宋書巻八)」のように用いられていたが、現代中国語ではほとんど使われていない熟語のようだ。徒然草187段では、この語が、「プロフェッショナルは技能がヘタでも、堪能なアマチュアと並べると、ぜったい優れている」のように使われている。つまり、現代の「英語に堪能な人」と似た皮肉なニュアンスをこめて使われているわけだが、もしかすると、兼好法師のこの文章がその後の「堪能(かんのう)」の使い方(しょせんアマチュアの余技だよねー、みたいな)に影響を与えているのかもしれない。(KAGAMI & Co.)