関連用語
美人薄命、佳人薄命
びじんはくめい、かじんはくめい
美人薄命(佳人薄命)とは、美しい人は短命あるいは不幸であるという意味で、その昔、美しい女性はえてして病弱であったり(美人が病弱であると余計大事にされ注目されたとも、病弱であるためやせて美人に見えたともいえる)、男たちの闘争の世界に巻き込まれて命を落としたり、零落するケースが多かったため、こういうことが言われた。
「佳人薄命(美人薄命)」は、中国北宋(960-1127)の詩人蘇軾(そしょく)の詩のタイトル「薄命佳人」が直接のネタモトとされる。しかし、美しい女性が薄運であるという命題は古代から中国では好まれたテーマで、前漢(前202~後8)の武帝がまとめた中国古代の歌謡・古楽府(こがふ)に「妾薄命」という題の歌があり、後宮の女性の悲しい末路を歌っているが、後に後漢の曹植(そうしょく)、唐の李白らは同じタイトルの詩を詠み、同様の趣向の詩が数多く作られた。日本でも高群逸枝(たかむれいつえ1894-1964)に同名の詩が、また、最近シンガーソングライターの長谷川白紙が、中国語が流れるアンビエントな曲を作っていて、文人の間で「妾薄命」は「知っててあたりまえ」みたいな言葉だったようだ。
蘇軾の「薄命佳人」も、同様の趣向で作られた詩で、皇帝の側室の運命について詠んだものだが、「妾」つまり2号、側室という言葉を使わず、一般的な「佳人(美人)」とし、詩の内容も特定の人物を指さないようぼかして一般論のように詠んでいるのが手柄と言える。この表現が気に入られて、その後、幾多の詩文に「佳人薄命」という形で使われたと考えられる。つまり、そのへんをうろちょろしている「佳人(美人)」も、皇帝の側室なみの「薄命」あつかいを受ける栄誉にあずかったというわけだ。
ところで蘇軾の「薄命佳人」だが、詩中に「呉音(ごおん)はなまめいて柔らかく、子供っぽい」という表現があることから、武帝の後宮から皇后に取り立てられたが、後に自殺させられた衛子夫(えいしふ)を指していると筆者は考える(って、中国の人々や研究者には常識なのかもしれないが。そんなこたあ私は知らない)。衛子夫は庶民の出で、武帝の親戚の家のおかかえ歌手だったのをみそめられて後宮入りした。当時前漢では、『楚歌』という歌が流行っていたが、この歌は呉音で歌われていたので(「呉音」は、日本の漢字の音読みの種類である呉音とは別)、「呉音はなまめいて」は衛子夫の歌をさしているのではないかと考えるわけである。
というわけで、蘇軾の詩によって一般論に格上げされた(格下げされた?)「佳人薄命」は、一般女性の運命について語るコンビニエントな言葉となった。中国の後宮の女性には実際に悲しい運命が待っている場合が多かった(というか、そういう悲惨な目にあった女性が目立つ)ようだが、一般の美人は必ずしもそんな不幸な目にあわないし、周囲からほめそやされて必死で自分を磨くのでむしろ長命かもしれず(ダイエットしすぎて短命はあるかもしれない)、筆者が冒頭に挙げたような皮肉な解釈も生まれるようになった。現在の「美人薄命(佳人薄命)」にはむしろ、美しい女性の劣化した姿は見たくないという、男たちのまったくもってけしからん欲望が透けてみるような気がするのは筆者だけであろうか。
なお現代の中国では「佳人薄命」や「美人薄命」より、「紅顔(紅い顔といってもよっぱらいではなく、キレイなお顔という意味)薄命」という言い方の方が多いらしい。
ところで、「美人薄命」という言葉は、夜間に花を咲かせ朝方にはしぼむ「月下美人」という植物が語源であるという説があるが、月下美人はメキシコ原産で江戸末期に日本に輸入され、当初は「月下香(げっかこう)」などと呼ばれていたというし、「月下美人」という命名に至っては昭和天皇の皇太子時代のエピソードが語源説になっているほどであり、大ベテランの蘇軾と語源を張り合うには経験不足といわざるをえない。(VP KAGAMI)