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天は自ら助くる者を助く、神は自ら助くる者を助く

てんはみずからたすくるものをたすく、かみはみずからたすくるものをたすく

 天は自ら助くる者を助く(神は自ら助くるものを助く)とは、自助努力する人を神様は助けてくれるという意味。つまり「神頼みするまえにもう少し頑張りましょう」ということ。『聖書』の言葉かと勘違いされているが、少なくとも『新約』でキリストが語る神様は「信じる者は救われる」という気前のいい人(ではないな、神様だから)なので、「オレに頼む前に努力しろ」なんてケチくさいことは言わない。『旧約』『新約』通じて、「勤勉」「努力」は常に推奨されていて、「努力すれば神が救う」というニュアンスはにおわせているものの、直接的な言及はない。そもそもキリスト教の「神の救い」は、「大学合格!」というような現世の救いではなく魂の救いなのであって、神様にしてみれば「そんなどこかの商売人みたいなことは言わないんだよ、ふん」と言いたいところだと思う。

「天は自ら助くる者を助く」という、ある意味人間臭い教えはやはり古代ギリシャに起源があるようで、『イソップ寓話』には「ヘラクレスと御者」という、ワダチに馬車の車輪が落ちてヘラクレスに助けを求めた御者が、「オレに頼む前にちったあ自分でも考えろよ」と諭された話があり、紀元前400年以前にエウリピデスは「最初にトライせよ、その後で神を呼べ。そうすれば神々は救いの手をさしのべる」と著作に残している。なお、このことわざはラテン語発祥とする説がネットなどでは広まっているが、根拠は示されていない。『イソップ寓話』はギリシャ周辺各地の昔話を集めた本なので、その種の格言が古ラテン語圏にあったのかもしれないが、紀元前400年以前にラテン語らしき言語を使っていたイタリアあたりのあんちゃんがそんな気の効いたことを言っていたかどうかはわからない。

 自助努力という言葉を政治家はお好きなようで、ベンジャミン・フランクリンは『貧しいリチャードの暦』という著書の中で“God helps those who help themselves.”と書いている。ケネディ大統領は神様は持ち出していないが、「政府に文句を言う前におれたちが努力しようぜ」と演説した。また、19世紀のイギリスの作家サミュエル・スマイルズは自著『自助論』に“Heaven helps those who help themselves. “と書き、この本を日本語訳した中村正直の『西国立志編』では「天は自ら助くる者を助く」と訳されている。この訳が日本では一般的に広まっていると考えられる。スマイルズはこのことわざの出所をきっちり押さえていて、キリスト教の“God”とは違う“heaven”を使ったのかもしれないが、本書を読んでいないのでスマイルズの気持ちはわからない。heavenは日本語訳では「天国」が普通だが、「神」という意味合いの使い方もある。そこで日本には中国から取り入れた「天」というちょうどいい感じの言葉があり、中村さんはそれを採用したのだと考えられるが、詳しく調べたわけではないので中村さんの気持ちはわからない。

「神」は「困った時の神頼み」みたいな頼み事は聞き入れないが、「天」なら助けてくれるかもしれないというわけで、「天は自ら助くる者を助く」はうまく当てはまったことわざと言える。しかし、「天」もそんなにやさしいヤツかというと、中国のことわざに「人事を尽くして天命を待つ」があり、ここでは人間は必死で努力するだけで、あとは病院の呼び出し待ちみたいに結果を待つしかないというシビアな側面が見てとれる。

 以上のことから現実的な話をすると、このことわざは「天は自ら助くる者を助くる場合もある」とするのが妥当だが、そんなことを言われても人は自助努力をする気にはなれないので、ウソでも「天は自ら助くる者を助く」「神は自ら助くる者を助く」と言い切ってもらったほうがよろしいという結論になる。(VP KAGAMI)

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