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すしは日本のオリジナル料理といえるか

 〜日本の「すし」にはなれずしというルーツがあるが…

寿司、鮨、鮓、すし

すし

オリジナルとはなにか

 すしが日本のオリジナルかどうかを検証する以前に、「オリジナル」という言葉の意味を押さえておきたい。

 外来語「オリジナル」の元の英語originalは、起源、出身という意のoriginに、形容詞を作る接尾語alを付けた語で、起源の、原始の、という意味。現在われわれが使う外来語「オリジナル」は、その国やその人独自のもの、独創的なものという意味合いが強いが、これも考えてみれば、その国やその人が初めて作ったもの、初めて行ったことと言いかえることができる。現在の使い方では「オリジナル」はほめ言葉だが、例えば、ユダヤ教やキリスト教の「原罪」はoriginal sinであり、少なくとも原語originalに関しては、起源の、原始の、という意味しかない。それが好ましい起源であるなら、独自の、独創的なというポジティブなほめ言葉となるのだと考えられる。

「オリジナル」と呼ばれるものにはもうひとつ条件があって、その独自で独創的なものが世間に認められていたり、その後長く引き継がれていたりしなければならない。いくら独自で独創的でも、誰の相手にもされず、一過性の流行で終わってしまえば「オリジナル」とわざわざ讃える必要はないわけだ。

 上記の見方からすれば、現在のすしは明らかに日本のオリジナルである。しかし独創的で価値のあるものはまねされて類似品が出回る。そのため「オリジナル」なものとそれ以外のものは、真作と贋作、ホンモノとニセモノ、原物とコピー、原作とパクリといった区別がなされる。そうなると日本のすしも、さらにそれ以前の「起源となる」形態があるのではないかと穿鑿されることになる。現在の日本のすしには「なれずし」という原形となった食品があり、この観点から見れば日本のすしは、「すし」という名称で呼ばれる食品についてオリジナルではない。

 ビートルズを「オリジナル」ではないという主張する人はよほどの変わり者だが、確かにビートルズは「ロック音楽」というくくりでは「オリジナル」ではない。彼らは当初、アメリカのロックやブルースをコピーして演奏もしていたが、しだいに自らのスタイルを確立し、ほぼ全曲自作自演の曲を自ら演奏歌唱して提供するバンド音楽(これをなんというのか知らないが…)というジャンルにおいて、ビーチボーイズやローリングストーンズとともに「オリジナル」の称号に値する。その後ビートルズは、アルバム単位の曲作りや、コンセプトアルバム等々、音楽界にイノベーションをもたらし、「ビートルズ」そのものを「オリジナル」ブランドとして確立した。美術や企業の商品開発の世界でも同様だが、初期の「ものまね」に、なんらかのイノベーションやブレークスルーが加わって、観衆や消費者に認められれば、それは立派な「オリジナル」となる。

 このような観点から日本のすしについて考えてみたい。

 

すしの「ルーツ」なれずし

 すしは、なれずしと握りずしに大別される。なれずしは東南アジアや中国南部を起源とし、おそらく中国からその製法が日本にもたらされ、奈良時代には租税として納められていたというから、よほど普及していたものと見られる。塩漬けにした魚を飯といっしょに容器につめて重しを置き、長期間漬け込み発酵させる(現在残っているフナ寿司では1,2年)食品で、暗所に保存すれば作った人の最後の晩餐にも使えるほど(実際に数十年でも保存できるという)保存可能という優れた長期保存食である。

 なれずしでは、一緒につけ込んだ飯はドロドロになるので捨てて魚だけを食べていたが、ケチな人が「もったいない」と考えたか、せっかちな人が「1年も待ってられない」と考えたか、腹が減って我慢できなくなったのかどうかは知らないが、漬けた魚と飯を早々と開封して食べてしまったところ、「これ行ける。しかも飯も食える」と絶賛し、「生なれ」というタイプの寿司が室町時代に生まれた。

 生なれが広く食されるようになると、江戸時代に入って、「早く食っちまうんなら、発酵を待つ必要ねえんじゃねえか」と考える人が、魚と飯に酢をぶっかけて一晩ほど漬け込んで食べ始めた。これが「早ずし」であり、現在の箱寿司、押し寿司、ばってらに当たる。この時点で「すし」は当初の保存食からほぼ完全に姿を変え、共通しているのは食材と、酸っぱい味だけになった。

早ずしから握りずしへ

 江戸時代初期から中期にかけて早ずしは江戸の街に広がり、専門の料理店が評判になるとともに、屋台販売や移動販売も登場する。現代でもコハダやサバなどの青魚は酢漬けにしてから握るが、早ずしの材料としてコハダは人気があったようだ。ばってらのような押し寿司と現在の握り寿司という違いはあるが、江戸で最も早くから愛されていたすしの材料として、それほどうまいとも思えないにもかかわらず(個人的な感想です)、現在もコハダが江戸前ずしの代表格のように言われるのはそんなところに理由がある。つまり、伝統の味であり、ういろうとかこんぺいとうとか、そんなものと同じ理由で、たいしてうまくないのに(個人の感想です)ありがたく頂戴されているものだと言える。

 押しずし、箱ずし、ばってらなどの早ずしは、「早い」といっても最低でも一昼夜は飯と具材を酢に漬けなければならず、ファストフードというにはスピード感に乏しい。もっとも、何日漬けようが、店で注文すればできあいの商品を切り売りしてくれるのだろうからファストには違いないと思うが、握りずしのような「その場で調理してくれる」というエンタメ感、ライブ感はない。また、ネタもサバやコハダという光り物はともかく、酢に漬けてしまったらうまくもなんともない魚類も多く、ここに「握りずし」の生まれる下地があったと言える。

 握りずしは、江戸時代後期に登場した日本食を代表する食品で、もし日本食にすしだけしかなかったとしても、大いばりで世界にアピールできるほどの逸品と言える(幸い人気のある日本食はいくらでもあるので、すしに過剰な負担をかけずに済んではいる)。いまでこそ目玉が飛び出るほど金を取られる高級店も多いが、本来は庶民の食べ物であり、その発想は、西洋のサンドイッチに近い。つまりファストフードであり、寿司店はハンバーガーショップみたいなものである。しかしハンバーガーショップは、いくら高級店といってもほどがある一方、寿司店は上から下までずらりと揃ってお客で賑わっているという点に違いがある。

現在の握りずしは、ご飯に酢を加え、その上に主にナマの魚を乗せて握る食べ物で、魚をナマに近い状態で食べることを主眼としている。握りずしが登場した江戸後期には、冷蔵冷凍技術などなかったので、しょう油や酢に漬けて保存性を高めていたが、なるべくナマに近い状態で食べさせるという目的にかわりはない。東京湾(江戸湾)で取れた魚を江戸市中で食べる「江戸前ずし」がすしの象徴のように喧伝されるようになったのはそのためだ。

 ファストフード感覚で食された江戸前ずしは「屋台から生まれた食べ物」というイメージがあるが、これは微妙で、というのは、それ以前の早ずしは、屋台販売や露店販売もあったものの、すでに店を構えた料理店が提供していて、高級寿司店も登場していたからだ。握りずしの元祖としてよく名が上げられている華屋與兵衞の「與兵衞寿司」(現在の和食チェーン店とは関係ないようです)も高級寿司店のひとつだった。つまり、高級寿司店で生まれたかもしれない握りずしだが、「これならオレもできる」と考えた自営業者(?)が参入して、屋台の主力商品として発達したといえるのではないだろうか。

 

握りずしのオリジナリティとは

 さて、ここで当初のテーマである日本のすしのオリジナリティについて振り返ってみたい。筆者の解釈によれば、初期の「ものまね」に、なんらかのイノベーションやブレークスルーが加わって、観衆や消費者に認められれば、それは立派な「オリジナル」となる。

 握りずしはなれずしの子孫といえるが、進化の過程でまったく別種の食べ物になった。つまり、猿のような動物が進化して人間になったようなもので、途中の早ずしは類人猿といったところだろうか。「握りずし」は「なれずし」から離れて、まったく別のジャンルの食べ物として独立したと言ってもよいだろう。

 なれ寿司と握り寿司が別種の食べ物だというのは、その製作主旨、コンセプトが180度違うからだ。なれ寿司は早い話が保存食であるが、握り寿司はむしろ保存してはならない食べ物である。漁師や沿岸の住人にのみ許されていたナマ魚あるいはナマに近い魚を江戸庶民が味わえるようになり、昭和期になって冷蔵庫が普及すると、全国区の食品となった。

 なれずしを模倣して作ったにもかかわらず、進化の過程でさまざまなイノベーションを加え、なれずしとはまったく違う食品になったことで、握りずしはオリジナリティを獲得した。それが江戸庶民に広く受け入れられ、後に全国区の食べ物となったことで、握りずしは日本のオリジナル料理として確立されたのだといえる。そして、いまや「すし」といえば、なれずしではなく、現在の握りずしを指すまでに至っている。

 とはいえ、握りずしはそのルーツとなったなれずしと共通点を残している。例えば、魚介類を主な素材としている料理(つまり、魚介類を内陸部の人々にも提供する料理)であることや「酸っぱい」味であることなどだ。これは、猿人や類人猿と、現在の人類が、二足歩行することや道具を使うことなどで共通している状態に似ている。

「すし」の語源は「酢し」つまり「すっぱい」から来ていると言われる。獣肉や野菜まで食材に使われるようなったいま、すしのアイデンティティはすっぱい酢メシを使うことにあると言っても過言ではない。つまり、酢メシを使わなければ、いくらそれらしく作ってあっても「すし」と呼ぶことはできないのである。例えば、ちらし寿司に似ているが酢メシを使わない丼ものは海鮮丼、のりで巻いてあるが酢メシを使っていない食べ物はおにぎりか、よその国で「のりまき」とかなにかほかの名前を付けて売っている食べ物である。

 このように現在の「すし」はその名前が残っているように、遠い先祖であるなれずしと共通の要素を持ち続けているが、それは類人猿と新人類が二足歩行などの点で共通しているが別種の生き物であり、新人類が現在の人類のoriginであると言えるように、握りずしは現在のすしのoriginだと断言できるのである、

​(VP KAGAMI)

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