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​演出

えんしゅつ

 演出とは、演劇、映画、テレビドラマなどで、上演、上映、放映のために各部門を統括する役割。演劇、映画ではプロデューサーがそれにあたり、主に撮影現場の舞台設定や撮影指導、俳優の演技指導を行う「監督(ディレクター)」と区別される。ただしテレビドラマでは、テロップで「演出」と記されているのが、舞台、映画における「監督」に当たる。つまり「演出」とは、うそっぱちをそれらしく見せるために、周囲の人々をこきつかって上演、上映にまで導くフィクサーの役割をいう。

 上記のような役割から、「演出」は、ある効果をねらって筋書きや言動に工夫をこらす意の慣用語として用いられる。早い話、結婚式で両親を泣かせるために繰り広げられるうそくさい小芝居の数々がそれである。

 先ほど「フィクサー」に例えたように、演出および演出家は、演劇、映画などの上演、上映にあたっては裏に隠れる存在である。演出が過剰に表に出すぎると、どんなにぼんやりとドラマなどを見ている客も「やらせ」を強く感じて覚めてしまう。その「演出の出しゃばり」を逆手にとっているのが歌舞伎の演出で、例えば、いま舞台で大立ち回りを演じていた主人公が、すぐ次の場面で海のかなたの舟の上で暴れまくるというシーンがある。つまり遠近法が必要なわけだが、これを歌舞伎では、近景の場面を主役が演じ、遠景は子役が演じる。あまりにばかばかしく、目立ちすぎている演出だが、観客には大ウケし、その演出自体をみなが楽しんでいる。つまり「やらせ」であることを隠さずに、その「やらせ」の面白さを楽しんでいるのである。

「演出」は、中国語では演劇や映画の上演、上映という意味しかなく、これに「監督」という意味を持たせたのは、日本の近代演劇を主導した小山内薫だとされている。確かに「演出」を文字通り解釈すれば、「演(芝居などを行うこと)」を「出す」で、上演、上映の意味に違いなく、これを「監督」と解釈するには「演出工夫」とかなんとか余計な説明が必要だ。中国語で演劇などの「監督」は、「導演」「演導」(演技指導?上演指導?)という、なるほどという漢字が当てられている。

​(VP KAGAMI)

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