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この辞典の使い方(ホーム)「む」で始まる言葉>無駄骨の意味、語源

カテゴリー:慣用語

 

無駄骨

むだぼね

 無駄骨とは、無駄骨折りの略で、成果のない労働、役に立たない努力を言い、「三日も徹夜して取り組んだのにとんだ無駄骨だった」のように使う。「無駄な骨」というと尾てい骨(尾骨)あたりを思い浮かべるが(尻尾のなごりでもある尾骨は、バランス感覚を保つ役割があるそうですよ)、そういう意味ではない。

「無駄」という接頭語が身体を表す言葉に付くケースは「無駄足」「無駄口」などがあるが、「無駄手」「無駄目」「無駄耳」「無駄舌」はない。これらの差異を検討してみる。「ない」方の「目」「耳」「舌」はいずれも受容器官であり、能動的な意味で使われる「骨(働く)」「足(歩く)」「口(しゃべる)」とは対照的である。「無駄(むだ)」というものは、人が行為をした結果、利益がなかった、損失を生じた状況を言う言葉である。例えば、観に行った映画があまりに駄作だった場合、観たのが無駄だったわけだが、われわれはこの状態を「無駄見」とか「無駄目」とかは言わない。映画館に足を運んだのがムダだったという「無駄足」、入場料を払ったのがムダだったという「無駄金」といった言い方をする。このように「無駄」は、目や耳などの需要器官にはあまり関係のない言葉なのだと言える。では「無駄手」とはなぜ言わないのか。将棋や囲碁で「無駄手」なんてのがあってもよさそうだが、それは「悪手(あくしゅ)」という。これは、将棋や囲碁で差した手は、良い結果か悪い結果のいずれかに必ず結びつくもので、「無駄」つまりどちらでもない(差さなくてもよい、パスすればよい)手はないからだろう。

「手」に「無駄」がつかないのは、思うに「手」で表される行為があまりに範囲が広く、漠然としてしまうからではないか。「無駄骨」の「骨(骨折り)」の中にも手による行為は含まれるだろうし、金は手で支払うが「無駄手」とは言わない。そんなところが「無駄手」という言葉がない理由ではないかと、ぼんやり考える今日このごろである。

​(VP KAGAMI)

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